ここはイギリスの片田舎
そこに住むホワイト老夫妻の家
暖炉の火に照らされた家の窓が
暗い石畳の街道に
暗く光り浮かび上がっている
そんなホワイト老夫妻の家から
この物語は始まる・・
始まり
暖炉にくべられた薪が
時折パチパチと小さな音を鳴らす
ここはリビング
ホワイト氏は困っていた
それは息子の打つチェスの手が
あと一手でチェックメイトなのだ
だがこちらはもう打つ手が見当たらない
「お父さんもう降参したらどうですか」
ニヤリと笑みを浮かべながら
息子のハーバードが年老いた父に言った
「悔しが降参としよう
あまりむきになると
この後の食事がまずくなるよ」
「あら私の料理に美味しくないものなんてないわ」
夫人が不服そうにキッチンから声をかける
ホワイト氏と息子が笑う
その時外の鉄門がガシャンと開く音がした
「あなたモリス曹長がいらっしゃったみたいよ」
ホワイト氏が玄関の戸を開けると
そこには旧友のモリス曹長の姿
二人は久しぶりの再会を喜び
そしてモリス曹長を囲み食事が始まった
ダイニングテーブルの上
燭台の火がチロチロと揺れている
ワインのせいで少し顔を赤らめたホワイト氏が
モリス曹長に尋ねる
「そういえば君がインドから持ち帰ったという
あの猿の手はまだ持っているのかい?」
モリス曹長の厳めしい顔が一瞬強張る
「もし君がいいというなら
あの猿の手を譲ってくれないか」
ロックグラスに入ったウイスキーを
グイっと飲み干したモリス曹長が口を開く
「おやめなさい
あれにはインドの行者による魔術が込められ
三つの願いを叶えてくれるが
定められた運命を無理に変えようとすれば
大きな災いが伴う」
モリス曹長は重い口ぶりで告げる
「私はあれが恐ろしくて
何度も捨てようとしたが未だに捨てられず
今も持ち歩いている
悪い事は言わない あれはおやめなさい」
しかしホワイト氏は食い下がり
「捨てるぐらいなら譲ってほしい
いいだろう」
それに息子のハーバードも加わり
モリス曹長に頼みこむ
「まあまあ二人共あまり無理を言って
モリス曹長を困らせたらだめじゃない」
夫人が困った顔をする
始めは拒んでいたモリス曹長だが
二人の熱意に押されとうとう根負けした
「わかりましたでもこれは本当に恐ろしい物
くれぐれも気を付けていただきたい
よろしいですか」
そう念押しすると
ポケットから白い布に包まれた物を出し
ホワイト氏に手渡した
夕食が落ち着き
モリス曹長は招かれたお礼を言って
ホワイト宅を後にするが
猿の手を手放した安堵なのか心配なのか
そんな複雑な表情であった
三つの願い
「お父さん猿の手に何をお願いしますか?」
「あれこれ考えていたんだがどうも私達は
欲しいものは全て持っているらしい」
とホワイト氏
ハーバードは少し考え
「ではお父さんこの家のローンが
あと200ポンド残っていましたよね
それを頼んでみませんか ねぇ母さん」
「そうね」と夫人
「そうだなそれがいい」
ホワイト氏も賛同する
早速ホワイト氏は布に包まれた猿の手を掲げ
軽い気持ちで願いを口にした
するとその猿の手がブルっと震え
驚いたホワイト氏は「うわっ」と声を出し
猿の手を床に落とす
しばらく無言で床の猿の手を見つめる三人
やがて
「なにも起きないみたいですね お父さん」
「まぁこんなもんだろう さぁそろそろ寝ようか」
猿の手を棚へとしまうホワイト氏
「もし明日お金が入った袋が枕元にあったら
僕が仕事から帰ってくるまで開けないで下さいよ
ハーバードが言う
「そうするよ おやすみ」
ホワイト氏は笑って答えた
翌日
もうすぐ昼食の時間だという頃
ハーバードの務めている工場の工場長から
すぐ来てほしいと電話が入る
ホワイト氏は急いで支度をし
夫人を残し工場へと向かった
そこで見たものは
工場の機械に挟まれた息子の無残な姿
「現場にいた者によると息子さんはフラフラと
機械の方へと向かい挟まれたようだったと
言っています 本当に残念です」
工場長が告げる
だがホワイト氏は工場長の言葉も耳に入らず
放心状態で家へ帰り夫人へ事故の事を告げる
泣き崩れる二人
そこへ先ほど会った工場長が家へやって来た
その工場長は茶色の封筒を手に持ち
ご夫妻に向かいこう言ったのである
「これはハーバード君が
今まで頑張っていてくれていた
感謝の形としての慰労金です
200ポンドあります どうか受け取って下さい」
それを聞いた夫人の絶叫が部屋に響き
ホワイト氏は視界が薄れ
ゆっくりと意識を失うのであった・・
ハーバードの亡骸は
家から数マイル離れた墓地に埋葬され
それからというもの
夫婦の生活は会話も無く
無気力な日々が過ぎ
一日一日はうんざりするほど長かった
ある夜半にホワイト氏がふと目を覚ますと
ベットに妻がいない
体を起こし周りを見てみると
窓際に座っている夫人が目に入った
「どうしたんだい
そこは寒いだろうこっちにおいで」
すると夫人は真っ赤になった目で叫ぶ
「あの子はもっと寒いんです
あの子はぁ あぁぁ」
夫人のすすり泣く声だけが
暗い部屋へ響いていた
嵐の夜
遠くで落雷の音が聞こえる
外は大雨
ずっと思いつめた顔の夫人だったが
なぜかその夜は笑っていた
だが目は遠くを見 どこか狂気を含んでいる
「どうしたんだい」
ホワイト氏が尋ねると夫人が立ち上がり
「あなた!あの子生き返るわよ
そうよ猿の手があるじゃない
なんで早く気付かなかったのかしら
あぁなんて幸せなんでしょう」
夫人は夫の手を激しく揺さぶり
今にも踊りだしそうに歓喜する夫人
だがホワイト氏が言う
「モリス曹長にも言われただろう
運命を変えてはならないと」
自分も息子に生き返って欲しい気持ちは
狂いそうなほどある
だが自分の中で駄目だと声がする
「なにを言っているの!
あなたはあの子が死んだままでいいの それに
一つ目の願いでもう運命は変わっているのよ」
夫人は目を吊り上げ
狂人の様に夫にせまる
考え込むホワイト氏
やがてホワイト氏は夫人の鬼気迫る勢いと
もう悲しんでいる夫人を見たくないとの思いで
夫人の願いを了承
そして猿の手を掲げ
願いを唱えたのだった
外は大雨 時折光る空
だんだん雷鳴が近づいて来ている
夫人は不安げに部屋を行ったり来たりし
ホワイト氏は椅子に座り息を殺す
雨音を聞きながら
数時間が過ぎた・・
願い事をしたホワイト氏だが
いくらなんでもそんな願いは
無理なんじゃないかと思い始めたその時
ードンドンドンドンー
激しい雨音に混ざって家の扉を叩く音がする
夫人が飛び上がって叫ぶ
「あなたあの子が帰ってきたわ!あの子が」
「そうよ!墓地が離れていたから
時間がかかったのよー あぁー」
それを聞いてホワイト氏はゾッとした
何故なら
機械に挟まれて人の原型を留めていなかった
息子の姿を思い出したからだ
そしてその人ならざるものが
墓地から歩いて来たのを想像して
ードンドンドンドンー
扉を叩く音がどんどん大きくなる
雷鳴が轟く
夫人は狂喜し玄関へと走った
街道に叩きつける雨音をもかき消す程
外の何者かはもはや
狂った様に扉を乱打している
夫人が扉のチェーンを
ガチャガチャと激しく外す
扉はチェーンとは別に
上と下とにかんぬきがかけられている
「あなたー椅子を持って来て!
私だと上のかんぬきに届かないの 早く!」
叫ぶ夫人
扉が壊れんばかりのドアを叩く音
「ハーバード!今開けるからね」
「あなたー!
早く椅子をもってきてちょうだい」
何かを覚悟したような顔のホワイト氏
神に祈る様な仕草をした後
ホワイト氏は老いた足で走った
だがそれは椅子を持っていくのでは無く
猿の手をしまってある暖炉横の戸棚へ
そして猿の手を取り出し頭上へと掲げる
雷鳴が轟き
猿の手がビクッと震えた・・
あれほど激しかった雨音が止んでいる
扉を叩く音もしない
時間が止まっているかの様な静けさだ
床にへたり込む夫人
ホワイト氏は玄関へ行きかんぬきを外し
そっと扉を開け
ふらつく足取りで外へ出た
そこには人の気配も無く
辺りは静寂に包まれている
チロチロと灯る街灯が
ユラユラと
雨に濡れた石畳を
照らしているだけであった。
W.W.ジェイコブズ
1900年代英国にて活躍した小説家
短編怪奇小説「猿の手」や「徴税所」などが有名
またこの短編怪奇小説が日本のホラーアンソロジーの原点となる
あとがき
私が中学生の時たまたま読んだ日本のホラー小説の中の一遍にこの「猿の手」があり
読み終えたあとジワジワと怖さが込み上げてきたのを今でも記憶しております
世界中には(三つの願い)をテーマにした民話が多い様に遥か昔より(三つ願う)という事が人の根低にはあるのではないか(生まれる・生きる・そして死ぬ)
そして些細な願い事から始まる一家の不幸の連鎖は
欲の無い老夫婦にとってはいささか理不尽にも感じますが
災難というのはいつも
足音もたてず不意にやって来るもの
また私が考えるにこの作品のテーマの一部が
「男」と「女」の性の違いを表していると考える
男性は論理とルールに重きを置き
女性は感情に基ずいて行動する
我が子がどんな姿になろうと会いたい気持ちが何よりも優先する夫人と
亡くなったものはやはり土に返さなければならないと決断する夫
この両者の違いがこの作品の男女においての不変のテーマである様に思えます。
それではまたのご機会に。
本作品は原本翻訳より抜粋しアレンジしておりますが本筋は原作に沿ったものであります
お付き合い有難うございました
~ししまいmk~
\ 信じるか信じないかはアナタ次第 /